今どき訪問営業

私は、かつて不動産の販売営業をしていました。平成初期の頃は、飛び込み営業が主でした。この頃は訪問営業は当たり前でした。

現在においては、マンションにはオートロックが当たり前、カメラ付きインターホンも普及しています。マンションで訪問営業をしようものなら不審人物として管理人にとめられるでしょう。アポイントなしには人と会うのは難しい時代です。

そんな時代でも、未だに訪問営業を中心に行っている業界がまだまだたくさんあるようです。わが家には、ときどき訪問営業があります。一番多いのが新聞。他には営業ではないですが宗教の勧誘があります。

自らが突然の訪問を受けると不愉快になるものです。訪問営業の常とう手段として、「こんにちは」とあいさつの言葉のみで名乗らないという方法があります。こちらが返事しても名乗らないのです。名乗らず、相手が出てくるのを待ち受ける作戦です。これが本当に不愉快。私は、あえて名乗らない営業には玄関を開けて説教します。本当に嫌なじじいなので、その後、その人が訪問してくることはありません。ブラックリストに入っているのか、わが家を避けて訪問している会社もあります。

かつて私自身が迷惑をかけていたことを棚に上げて、と反省していますが、集中して仕事をしているときに水を差されると我慢ならない、加齢から狭量になったのでしょうか。年を取りたくはないものです。

日常生活における不文律

今日は、午前中のうちに西宮神社の十日えびすに行ってきました。毎年、参拝し福笹とお守りを買っています。宵えびすで平日なので、土日にあたる本えびすと残り福よりも人が少ないのでは、そう思って参拝に出かけたのですが、かなりの混雑でした。

境内では参拝する行列ができていたのですが、誰かに整列を促されることなく、自然と列ができて本殿まで続いていました。人が多い場所で自然に整列し、流れをつくることができるのは私たち日本人にとっては当たり前。子供の時から学校教育の場で整列し順番を守ることを学んでいるからできることなのでしょう。

私たちの日常生活において、あらゆる場面で暗黙の了解、不文律があります。それらを自然に守っているからこそ効率的かつ安全に生活できています。最近では、個人の自由とか個性とかを大事にしなければならないという主張が、個人の我儘が許されるための言い訳になっているように思います。

日常生活の不文律、マナーなどを強制されなくても自然に守っていけるような社会が維持できるといいのですが、どうやらそういった日本人の美徳と言える部分は失われつつあるように思います。それらを失った社会は、街中にゴミが散乱し、人混みで押し合いや争いが起こり、荒んだものとなることでしょう。2026年は、私たち日本人が、過去の日本社会で守られてきたものを今一度大切にする一年であってほしいと願います。

正確に測るには正確な基準が必要

20数年ぶりに体重計(ヘルスメーター)を買いました。
今まで使っていた体重計は今時めずらしいアナログ式。
針が指す数字を読むものでした。
デジタル式で体組成計付きのものへと買い替えました。

齢50を超えると健康やアンチエイジングが最大の関心事です。
病気や死が身近に思えてきます。
日々、体重を測り、肥満体を改善しようと努力しています。

新しい体重計に乗って測ったところ2キロ増加しました。
朝、古いアナログの体重計で測った体重とは2キロ差。
1日で2キロ増えるのはおかしいと思い、古い体重計に乗って測ると朝と変わらず。
いったいどっちが正しいのかわかりません。

どちらが正しいのか、それともいずれもちがうのか?
正確な重さがわかっているものを体重計に乗せるしかなさそうです。

測る機器が正確であることが大前提です。
測る機器が正確かどうか疑いを持ったとき、それを証明するための基準となるものが必要です。
学校の理科の授業で使用する分銅のようなものです。

残念ながら、わが家には正確な重さがわかる基準となるものがありません。
とりあえず、自分にとって都合の悪い方、新しい体重計の数値を信じることにします。
しばらくは厳しいダイエットに勤しむことになってしまいました。